車で15分
香宗城跡
建久4(1193)年、源頼朝の命令によって土佐国に来国した武田左京亮秋通は、のちに地頭になり宗我部郷土居に館を構え、郡名の一字を冠して香宗我部氏を名乗りました。現在は城館跡に鬼門鎮護の八幡社があり、その南と二ノ塀の東西に塁跡が残っています。
車で3分
宝鏡寺跡
宝鏡寺は香宗我部氏の菩提寺。長宗我部元親の弟で、香宗我部親秀の養子の香宗我部親泰が開山と寺伝にあります。現在は寺城の西南に観音堂があります。寺跡は南北2段になっており、北の一段高い所に親泰の五輪塔、その横には親泰の子氏親の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が並んでいます。
車で5分
香美神社(御墓所)
大永6(1526)年、安芸城主・安芸元親に攻められた香宗城主・香宗我部親秀は、嫡子が戦死という痛撃を受けて敗戦し、実弟秀通に家督を譲る。安芸と長宗我部の両勢力に挟まれて苦悩した親秀は、自家安泰のため、岡豊城主・長宗我部国親の三男親泰を養子に迎え入れようとするが、これに秀通が猛反対。弘治2(1556)年、親秀は家士に命じ秀通を襲い自刃させる。この地で荼毘に付し、その遺骨を高野山に送る。余灰をここに埋め、一本の松を植えて墓標にしたといわれています。